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「ムダの会」の鷲尾賢也さんから、「本屋の店頭で感じている読者のこと、書物のこと、あんな事こんな事、そして変な事などなどいろいろと書いてほしい」とのご依頼、店頭での立ち話
という、全くムダのない口説きについ乗ってしまい、恥ずかしながらわが店の寸景を書いています。
情報誌「みすず」の一・二月合併号(三百円)は、毎年恒例の読書アンケートの特集です。「みすず」の平常号を五十冊程売る店ですが、この特集号に限って言えば、伝統的に断然の売
れ行きを示します。今年も二月中に二百七十五冊、三月に入って十五日現在、三百は越えています。この数は神保町でダントツだそうですから、本の街で一等賞ということは、当然のよう
に全国一位だと思います。価格はともかく、これは店の自信にもつながりますし、同時に広い意味で読書人健在が実感できて嬉しい限りです。
もともとこの街は古書店をバックボーンとした本の街ですから、いわゆる本読みのプロが、あちらの古書店、こちらの新刊書店と回遊します。もちろん、私ども岩波ブックセンター信山
社もその一環で、多くの怖い読み手がお見えです。作家や学者そして評論家、いわゆる書き手の先生方をはじめとして、政治家や有名タレントさんまで多士済々です。すぐに思いつくだけ
でも宇沢弘文・丸谷才一・鹿島茂・坪内祐三・辻井喬・姜尚中斉藤美奈子・皆川博子・佐高信・金子勝・立花隆・小森陽一の各先生方、そのほかお顔が知られている著名人のご来店も盛んです。
政治家といえば、故人になられましたが、読書家の宰相としても有名な大平正芳氏が三度ほどご来店になりました。それは、一九七〇年代の後半でしたが,初めは外務大臣の折に二度、三
度目は内閣総理大臣の時でした。外相時代はS・Pが四人ほどでさりげなく護衛し「アッ大平さんがいる」という感じですが、総理ともなるともう大変、三十分まえから来店予告があり、屈
強なSPが七十坪の店内の要所要所に立ち並び、商売どころではありません。時間通りに到着、私がお出迎え、総理が本を選び秘書官が図書券で支払いを済ませお見送りをして無事完了、
予告があってから三十分、やはり疲れました。
書き手のお客様に加えて、作り手である出版社の面々も数多く登場、おかげさまで私どもの出版関連のコーナーは店のドル箱になっています。例えば、鷲尾さんの「編集者とはどのよう
な仕事なのか」(トランスビュー弐千二百円)は、二千四年から六年にかけての当店のロングセラーで現在も息切れしていません。∧シャイな鷲尾さん、書いちゃってゴメンナサイ∨
しかし、最も手強いのは一般のお客様です。店が神保町の角で分かり易いという事もあって待ち合わせのご利用も多く、又岩波ホールで映画を見てからのお立ち寄りもありますが、殆ん
どは顔見知りのリピーターです。本の街を回遊するリピーターですから近くの他の店で出会いお互い目礼しあったりします。
有名無名にかかわらず、こういった玄人の怖ろしさは、黙って店に入り、静かに棚を眺め、自分の基準に合わなければ、無言で立ち去り他の店に行ってしまうことです。品揃えに筋が通っ
ていなければ納得していただけません。格好良く言ってしまえば読み手と書店員とが、書棚を通して切り結ぶ緊張の空間、それが私どもの店頭です。といって下町の商店らしいお客様との
触れ合いも無いわけではありません。名前を言われて嬉しかったとお土産を頂いたり、逆に名札もつけていないのに全従業員の姓を知っているおじさんや、咳こむ従業員に飴を下さる高名
な作家がおられたりで、楽しい話題も盛りだくさんです。
そんな善男善女の読書人に混じって、ときに招かれざる客も現れます。書店の店頭に付きものの万引きです。私どもでは小中校生は殆ど来ませんので、子供さんの悪戯には出会いません
が、その代わり万引きのプロ、つまり確信犯との戦いに明け暮れています。この世界も高齢化が進み、なかには八十才に近い老いたプロも出没します。捕まえても今にも倒れそうですし、
言葉のやり取りにもてこずり往生します。出来たら見逃したい気分の万引き犯です。
こうして書いてきますと、書店の商売としての姿が、どこまでいっても「受身」であることを実感します。勿論、顧客に対して受身なのは店を構える小売商の常ですが、書店の場合はも
う一味違います。同一価格・同一流通条件といった現行制度に縛られているため、仕入れ・調達の面からも受身の形なのです。
つまり、どちらから見ても、「受身」の立場なのです。しかもそれを前提として自覚しなければなりませんし、書店の主体性は、其処からしか出発出来ないのではないでしょうか?
おしまいに最近、店で起こった小さな出来事を紹介して終わりたいと思います。
「新入学生二百名のガイダンスで岩波ジュニア新書の(中学生時代)を推薦し、そちらのお店の名前を挙げておきましたのでよろしく」これは私立・N中学校からの嬉しい電話でした。そ
れから一ヶ月、実売はなんと6冊でした。千九百八十三年から三十二刷を重ねるこの名著も、ゲームソフトの大好きな今様の生徒さんの食指をそそるまでにはいかなかったようです。チョ
ット当てが外れたようで残念でしたが、そこはそれ、わが店の熟達した手練の従業員、なんとなんと仕入れた数はさりげなく十冊だけでした。このあと四月の入学式までに何冊売れるのか
は分かりません。 (2006・3・23)
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