本の街・神田神保町の神保町交差点のほど近くに一軒の書店がある。入口には〈書物復権〉Independent Bookstores Iwanami Book Center の文字が掲げられている。その名のとおり時流に流されない独特の品揃えで、顧客の信頼も厚い。70坪弱の店内では岩波書店の出版物をメインに、人文社会科学系の専門書、雑誌を扱っている。場所柄、出版関係者や著者の来店も多いようだ。
この岩波ブックセンターで、2月より〈書物復権〉8社による、一ヶ月ごとの連続ブックフェアが行われており、3月には小社のフェアが開催された(2月・白水社、3月・未來社、4月・法政大学出版局、5月・勁草書房、6月・東京大学出版会、7月・紀伊國屋書店、8月・岩波書店、9月・みすず書房)。この機会に〈本〉の現場の最前線である書店の一日を取材させてもらった。
3月1日(月)曇時々雨一時みぞれ、最高気温11.9度、最低気温2.2度
9:50 今日から〈書物復権〉8社の会連続ブックフェアの第二弾、白水社に続き未來社のフェアがはじまる。みなさん既にてきぱきフェア台の入れ替え、商品の陳列などをしている。早速作業開始。フェアの吊り看板を作成する。ケチくさいことこの上ないが、二月にフェアを行っていた白水社さんの力作を拝借して上から「未來社」と貼り付ける。白水社宣伝部さん、ありがとうございます。
10:00 開店。雨が降っている。紙と水は相性が悪い。書店は雨の日には客足が格段に落ちてしまう。
開店時間には既に、取次(本の流通業者)の栗田出版販売からの段ボール箱が届いている。取次の担当者は、鍵を持っていて書店員の出勤前に荷物を置いていく。今日は月に一回の岩波書店の棚卸しの日で、岩波の本が入らない。岩波書店の本がこの店の主力商品なので今日はダンボール五、六個分荷物が少ない。半年に一度の岩波文庫リクエスト復刊の発売日には、少部数復刊なので朝からお客さんが殺到するそうだ。「発売のその日に来るんですか?」「PR誌の『図書』や新刊案内を見て、その日をめがけてやって来るんだよ。だから事故で入荷しなかったりしたら大変なんだ」と柴田信社長。
10:05 八木書店の方がスリップを取りに来る。八木書店は古書店として有名だが、人文社会科学書専門の中堅取次会社・鈴木書店が2001年12月に倒産後、取次業務にもさらなる力を入れている。朝スリップを回収し、八木書店卸売部で本を抜き、午後には補充してくれる。
10:20 今日初めてのお客さん来店。50代の男性で、有斐閣のポケットブックの在庫を問い合わせる。
10:25 取次店・弘正堂の方がスリップを取りに来る。弘正堂からは中央公論新社、朝日新聞社など新聞社系の版元の本が入ってくる。午後補充してくれるそうだ。
店員の山本さん、前日の売上スリップを見ながら補充する本を決めている。現在、大手書店ではPOS(Point of sales 販売時発注システム)レジ導入で、売れた本はバーコードで読み、売れると自動的に追加の発注がされるようになっている。しかしここではレジは手打ちで、発注も、本が売れる時にレジで抜き売上を管理する売上スリップを、担当の店員さんが手で触って分析する中で発注数を決定している。
10:40 店長の白井さん、フロアの真ん中にある平台の入れ替え。今は隣の岩波ホールで上映中の映画『わが故郷の歌』にあわせて、クルド問題関係の書籍を展示している。ちなみにこのお店は白井店長以下、社員に女性が多い。バイトの和田さん、スリップ片手に新書と文庫の在庫をチェック。
11:00 お客さんが増えてくる。ほとんどが女性のお客さん。「案外女性のお客さんも多いんですね」と聞くと白井店長、「平日の午前中は岩波ホールに映画を見に来る年輩の女性客が多い」とのこと。学生風の男女が本を見ている。どんな本を選ぶのか見ていると、店内をまんべんなく回った後、女性がNHKブックスと講談社選書メチエを、男性が岩波書店「思考のフロンティア」シリーズの一冊と「神奈川大学評論」を買って帰る。山本さん、PR誌を裏の入り口脇のラックに並べている。「人気のあるPR誌はなんですか?」と気になる質問をしてみる。「新潮社の『波』です」と即答。このラックには「ちくま」「歴史書通信」などにまざって「未来」も置いて下さっている。それ以外は、表入り口近くのレジ(以下、Aレジ)には岩波書店のPR誌「図書」や岩波の新刊案内、奥のレジ(以下、Bレジ)には吉川弘文館の「本郷」が。「PR誌は持っていかれますか?」「タダですから、結構持っていかれますよ。古本屋さんがたまにきて全誌持っていかれたりします」。
11:10 白井店長、バックヤードで入ってきた本の検品。スリップの突起の部分にシャープペンシルでなにやら書き込み。「神田村は買い切りが多いので、何の本がどこからはいってきたのか判るように書くんです」。経由を間違って返してしまうと、取次からすると入れてもいない本の返品を取らされるということになるので注意が必要なのだ。神田村とは、神田神保町界隈に中小取次店が密集していることから呼ばれる名称。急ぎの時はトーハン・日販というルートで本が入るのを待たずに、こういう小取次店を自転車で回って現金で仕入れるということも書店はやっている。
年輩の男性、この店で月約60冊、一月号の読書アンケートの号は300冊売るというみすず書房の雑誌「みすず」を購入。「お願いします、カで300円」。このカというのは「岩波書店以外の出版社の雑誌」を意味するコード。レジの「ヨキミセサカエル」という符号にあわせて商品分類が割り当てられている。ちなみにこの「ヨキミセサカエル」という符号は柴田社長の著書のタイトルにもなっている(柴田信著『ヨキミセサカエル 本の街・神田神保町から』日本エディタースクール出版部、1991年)。
11:20 白井店長、単行本の後は雑誌を出す。その合間にお客さんのお問い合わせにも答えている。「講談社現代新書はどちらですか?」「こちらです」。
Bカウンターの前で、白井店長と山本さん、カレンダーを前になにやら相談。「この日は休みだから入ってこないよね」。どうやら新刊がいつ入ってくるか、入荷日を相談しているらしい。
11:25 山本さん、歴史の棚の前で岩波書店の社員の方になにやら相談を受けている。Aカウンターではバイトの和田さん、ブックカバーを折っている。
白井店長、休憩の取り方をスタッフと相談。店長の仕事は色々。荷開け、検品、陳列、レジ接客、発注、定期改正、返品、苦情処理などはもちろん、バイトさんの仕事の指示や休憩のやりくりなど労務管理的なものも含まれる。
Bカウンターでは成田さん、岩波書店の本が何日に入るのか、カレンダーに書き込んでいる。これはAカウンター近くのメイン平台の所に置いてあるホワイトボードに張り出し、お客さんに告知するためのものだ。岩波書店の販売部便りや新刊案内に従って書いている。変更があるとホワイトボードに書いてすぐ伝えている。
11:35 柴田社長にお客さんが来る。編集者の方らしい。ひとしきり情報交換をして帰っていかれる。
11:45 心理書等担当の山本さん、心理学の専門書版元、誠信書房の常備の箱をあけている。「二月までの常備がだいたい終わった所です」。常備というのは、「常備寄託システム」といい、出版社が書店に本を一、二年間貸し出し、売れるごとに補充し、一、二年後の入れかえの時は、書目から全て見直して入れかえるというシステムのこと。版元によって様々な取引条件、入荷ルートがあり、非常に煩雑なこれらのきめごとを、書店員さんは管理している。
山本さんが誠信書房の本を棚に出すと、ちょっと倒れていた所もあった棚がみるみるうちに甦る。
11:50 見たことのある顔のお客さんがいる。経済学者のK・Mさんだ。このお店は著者の方の来店も多い。私は別の日に経済評論家のS・Mさんを目撃した。「著者の方、やっぱり多いですか?」「多いです。文芸評論家のT・Yさん、K・Sさん、M・Sさん。ちなみに一番かっこいいのは政治学者K・Sさんですね。Kさんがきたら内線でみんなを呼ぶ」とのこと。
「未來社フェア」をしげしげ見つめてくれている年輩男性発見。折原浩氏の『ヴェーバー学のすすめ』を見ている。
12:00 山本さん、Bカウンターでスリップの仕分け作業。スリップを仕分けてハンコを押し、取次ごとの回収ボックスにいれている。八木書店、弘正堂は朝来て午後、栗田は午後取りに来て10日〜2週間で入れてくれる。急ぐときは出版社に直接電話して持ってきてもらうそうだ。
午前中、版元の営業の方が来るかと思い、取材しようと待ちかまえていたが、どなたも来ない。「営業の人が来るのは木、金が多いですよ」とのこと。書店の現場で営業と仕入の人がどのような話をしているのかを目撃したいと思っていたので、残念。
13:20 白井店長、Aカウンターで接客。Bカウンターでは山本さんが、岩波書店新刊発売日変更連絡をカレンダーに書きながら、電話も取る。その後、「レジ伝票過不足簿」という帳簿をつけている。代金支払済の本の発送、客注品入荷の連絡など、細かい仕事が山盛り。接客やお客さんの難しい問い合わせがいつ襲いかかってくるかもわからない状況で、冷静に細かな仕事をこなす。「客注品、すぐに取りに来られますか?」「来る人はすぐ来るけど、来ない人はなかなか来ない」とのこと。客注品にキャンセルが出て返品が出たりするとこれまた大変だ。客注品は買切となるので、基本的に返品できない。
14:00 この時点でAカウンターのスリップが約70枚。雨のため少ない。山本さんスリップを仕分ける。
Bカウンターで白井店長、なにやら宛名書き。社員買いの人に品切のお知らせをするためのもの。
14:20 友人の編集者、来店。未來社フェアを案内する。藤田省三著『現代史断章』をお買いあげ。未來社フェアから初めて売れる。
白井店長、岩波書店の平台の上でスリップになにやら書いている。「栗田を使っているけど、岩波の本だけ後楽園ブックセンターにファックスすると明日持ってきてくれる」とのこと。補充する本を早速、岩波書店の倉庫である後楽園ブックセンターにファックス。
14:30 難問襲来。「岩波のカバーがやわらかいシリーズで……表現とかそういう言葉が入っていて……森山さんという人が書いている……」。走る白井店長。ほとんど三題噺のような難しい問い合わせに見事こたえる。「これでしょうか」。検索システムの曖昧検索でもひっかからないような情報を、店内を走りながら処理して回る。あるインタビューで柴田社長が「現場の本質は待ったなしの受け身であるということにつきます」とおっしゃっている。確かに細かい業務が山盛りの中、このようなアクロバット的な質問がいつふりかかるかわからない。しかし受け身の状態をその瞬間能動に転化するバネのような動きを見て、現場に立つ、ということの意味を教えられた気がした。お客さんの傾向、雰囲気、言いたそうなこと、このお客さんの欲しそうな本、そういう曖昧情報を店頭で日々蓄積することによって、このようなひらめきが生まれるのだろう。
マーケティング、という言葉ではすくいとれない曖昧情報が蓄積するのが現場の現場たるゆえんだ。
白井店長と山本さん、補充の相談。河出夢ムックの吉本隆明と武田百合子の号を、八木書店で補充するらしい。「八木書店に行ったことありますか? 行ってみます?」「ぜひ!!」ということで、山本さんに同行させていただくことに。
14:45 八木書店卸売部到着。入り口側には一般書店と同じような平台があるが、その奥には出版社毎の棚が天井高く伸びている。地下にはB本(バーゲンブック。定価より安く販売している新刊の非再販商品)コーナーがある。スリップ片手に店内を物色する山本さん。河出夢ムックの吉本隆明、武田百合子の号や『帝国以後』(藤原書店)、山川出版社の日本史リブレットなどをどんどん抜きカウンターに積み上げていく。後で八木書店が配達してくれるようなので、持ち帰りの心配はないようだ。
カウンター横の本棚に発売前の本の見本がある。この見本に「岩波BC、何部」と注文を書いた紙を挟んでおくと、新刊ができたらすぐ入る仕組みになっている。
欠本チェックに来ている営業の方、発見! 某版元の方、山本さんに「うちのも持っていってよ〜」と控えめな営業トーク。
15:50 さっき八木書店で積み上げた本が配達されてくる。早い! 白井店長と山本さん、昨日の書評の話をしながら本を出しに行く。「昨日の朝日の書評よかったね」「岩波の人が書評握りしめて買ってたよ」。
16:00 お店が混んでくる。Aカウンターはひたすら接客、白井店長はBカウンターでスリップ仕分け、注文短冊を書いている。山本さん、入荷した本の整理。合間にヤマト運輸が荷物を引き取りに来る。お客さんの多い時間は、と聞くと「だいたい二時半から三時と五時半以降がラッシュ」とのこと。年配のお客さんが多いので、雨が降ると客足が落ちるが、神保町再開発の影響で会社が増え、帰宅途中の人が寄るようにもなったそう。
16:20 Bカウンターで山本さんが先程八木書店から持ってきた本の冊数を書き込んでいる。
16:50 山本さん、東洋文庫を補充。あいうえお順に並べている。
客注品入荷のハガキを手にしたお客さん、『カント全集一五巻』をお買いあげ。済んだハガキにはハンコを押す。定期購読者の住所変更などもきちんと管理して、ハガキで案内を出している。「日本通史や夏目漱石の時は百人定期購読者がいました」とのこと。
カント全集のお客さん、「山本義隆の本ありますか」と『磁力と重力の発見』(みすず書房)についてお問い合わせ。お客さん、「これ売れてるんですか?」と質問。「はい。著者の名前で買っていかれるようです」。三巻まとめてお買いあげ。このお店は客単価(お客さん一人一回あたりの購入額)が日本一高いのだが、それを実感する。
今書店で一番問題になっている万引について聞いてみる。年配の方が多いので万引問題は少ないのではなかろうか。「あるんですよ。万引される出版社ベスト三は、一位東京大学出版会、二位みすず書房、三位岩波書店です」。「みすずより東大なんですか?」と失礼なことを聞くと、「最近逆転したんです。単価が高いからじゃないですか」とのこと。
17:35 女性のお客さん、歴史関係の本をカウンターに山積み。一、二月は公費での買上が多いので、大学関係者だろうか。請求書を書く必要があるのかなと思いきや、個人のお客さんだったようでカードでお支払い。「こういう専門書をおいている本屋さんは少なくなったわね……」と感想を残してお帰りに。
18:20 Bレジで一ヶ月分のスリップの数を数えて集計するのをお手伝いする。「文庫の棚入れ終わりました」とバイトの和田さん。「じゃあ栗田の返品やってくれる?」と白井店長、バイトさんに指示。和田さん、まず返品用のダンボール箱を作り、伝票に一冊一冊、出版社名と版元の担当者名を書き入れながら箱に入れていく。取次ごとに、返品伝票の書き方も違ってくるようで、かなり煩雑な作業。「返品ってやっぱりどうしても出ちゃうんですね」。「パターン配本で、うちの店では売れないのに入ってきちゃうのもあるから。かと思うとうちで売れると思って注文を五冊出しても一冊しかこなかったり」。「このお店でもそういう悩みがあるんですか?」「ありますよ。入ってこなくて大変。そういう時は神田村で仕入れますが、ないものを追いかけるよりあるものをうまく売っていこうと思う。岩波は一番早く入るし……」。
「八木書店が網野さんコーナー作っていた」という情報が入る。「網野さん」とは、二月二七日に亡くなった、歴史学者・網野善彦氏のこと。「そういえば平凡社からファックスがこない……亡くなってもあまり売れないんですよね。みんなもう持っているからかな」。白井店長ちょっと寂しそう。
18:30 白井店長、明日発売の雑誌をリストにマーキングしている。
18:45 Bレジ山本さん、レジのお金を数える。閉店準備に入ったようだ。
18:55 男性のお客さん、閉店間際にお問い合わせ。橋川文三のナショナリズムの本をお探しとのこと。白井店長即座に『昭和ナショナリズムの諸相』(名古屋大学出版会)を差し出す。「これでしょうか?」「いやこれじゃなくて……」。検索システムで調べた結果、お探しの本は『ナショナリズム』(紀伊國屋書店)、単行本は品切で著作集(筑摩書房)の九巻に入っていることが判明。本は入手できなかったが、納得のいく答えを得ることができ、満足そうに帰るお客さん。
Aレジをしめ始める。売上げは「天気が悪かったので、あまりよくないです」。
19:00 店内のあかりをおとし、入口のロールカーテンを半分下ろす。「ご来店ありがとうございます。まもなく閉店のお時間になります」と白井店長が告げて回る。
19:10 レジしめ完了。今日の売上げスリップをまとめて、売上金を経理に持っていく。これで一日の仕事が終わる。
[取材をおえて]
著者から原稿を預かりそれを本に作るのが編集の仕事だ。出版社の規模によって職域も変わるが、毎月の新刊を作りだし、営業の手にわたすと、おおむねすぐ次の新刊の仕事にとりかかる。しかし本が好きでこの仕事についたのだから、生産の現場にだけかかわるのではなく、著者やデザイナー、印刷所とともに仕上げた一冊の本のいわゆる「川上」から「川下」まで、読者のもとに届くまでの本がたどる道筋を一緒になってたどってみたいという気持があった。本の生産の現場にいるものとして、本の現場の最終地点、読者がそこで本と出会う場である書店の仕事をもっと知りたい。書店員さんは一日、どのような仕事をしているのだろうか―その思いが募り、無理をお願いして一日店頭にはりつかせていただいた。
圧倒的な物流、情報、お客さんの流れのなかで、一点一点の本についての商品知識、そして「売行速度・調達日数・現在在庫量」をふまえた在庫管理で店頭を維持するという持久力。そのようなバランス感覚をもちつつそこから瞬間離陸する瞬発力。物をつくるという即物的な達成感とは別のレベルの繊細な作業の集積が、そこにはあった。
それは裏返すと、自らの労働の帰結が見えにくいということであるのかもしれない。「売上」は確かにそのひとつの帰結だろうが、そこに直結しない労働が相当ある。また、帰結点が時間的・空間的に遠い場合も多々ある。しかしそのような見えない労働の蓄積が現場を形成し、あらたな読者を生んでいるのだとしたら、書店員の労働を言葉にしていく必要が、いままで以上にあるのではないか。そういった書店員の見えない労働を見ることなくして〈本〉とは何か、〈読者〉とは何かを考えることはできない、と思った。
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