京大・滝川事件とは?
1933年(昭和8年)5月26日。満州事変を強行し、中国大陸侵略の道を歩み始めた日本において、我が国の学問の自由の歴史を語る上で、忘れることができない事件が起こった。当時の京都大学の人気教授であった滝川幸辰が著書「刑法読本」における一部の進歩的(自由主義的)主張ゆえに危険思想の持ち主とされ、文部大臣・鳩山一郎によって一方的に大学を追われることになったのである。これは学問・研究の自由を否定し、大学の自治を踏みにじる不当処分であるため、京都大学法学部は一斉に抗議して、教授・助教授・講師・助手ら全員が辞表を提出。学生もこの動きに同調し、滝川教授の復職を求める運動を活発化させることになる。そしてその運動は京都大学だけでなく、東大、東北大、同志社、
法政、明治などの私大にまで拡がっていった。これが、世に言う「滝川事件」である。
「祖谷渓挽歌」は、この滝川事件において学生運動の中心を担ったとされる実在の人物・長尾孫夫を主要なモデルとし、軍国主義社会の中で「学の自由」を蹂躙し、良識ある学者や学生たちを特高による容赦ない拷問によって抹殺していった日本の暗部の歴史を描いた著者渾身の大河小説である。
「祖谷渓挽歌」(全五巻)
藍 友紀/著 四六版各300ページ並製本
【制作部数:各20部】
「祖谷渓挽歌」は、20年にもわたって書き続けている私のライフワーク
「祖谷渓挽歌」という小説を書こうと思ったのは、もうかれこれ20年以上も昔の話になります。私は旧制高校の寮歌が好きで、複数の寮歌の会を主宰しているのですが、全国3000以上の寮歌の中でもっとも人気を誇る「時の流れに」という歌の作者が長尾孫夫という人物であり、彼は貧農の息子でありながら京大に進学後、若くして滝川事件に巻き込まれて亡くなったということを知人を介して知りました。
このことに非常に関心を持ちましていろいろと長尾氏のことを調べていきますと、悲しみと怒りで私は血が逆流する思いがしてきたのですね。彼が裕福な家庭の生まれではなくて貧農の息子という点に、とくに心が痛みました。というのも、私は若い頃にNHKのディレクターをしておりまして、日本の農業や漁業問題に関わる社会番組を制作していたわけです。当時の国策と現場の実態との隔離を訴える番組を作って、さまざまな問題提起をしてきました。結局、「日本の漁法」というドキュメンタリーの構成において上司と対立し、また政府筋の圧力に屈するのも我慢できないので、退職することになるわけですが、私には徹底して番組の制作を通じて弱者の視点から世の中を捉えてきた自負があるわけです。これは旧制高校時代に愛読したドストエフスキーや石川啄木の影響が強いからかもしれません。
滝川事件のことを知れば知るほど、この事件のことをもっと多くの人に知らさなければならないと思うようになりました。とくに、事件の犠牲となり若くして無念の死を遂げた学生である長尾氏の無念を綴って、後世に彼の名前を残さなければと決意したのが、私が「祖谷渓挽歌」を書き始めたきっかけです。
事件後73年、いまだに続く「京大滝川事件記念会」
取材には十数年の月日をかけたでしょうか。取材した方は、高知高校同窓生を含めて何十名にも及びますし、長尾氏の足跡を求めて四国の祖谷渓にも何度も足を運びました。原稿自体は四回も書き換えていまして、その都度コピーを配布して関係者に読んでもらって意見を聞き、少しずつ完成度を上げていきました。今回制作した書籍は第五版になりますが、まだまだ改稿の余地は残っています。私自身、ライフワークと思って取り組んでいますし、もっとたくさんの方にこの本を読んでもらえるようにしていきたいですね。
実は、滝川事件の関係者たちの集まりというのが、事件から73年経った現在でも毎年続いているのですよ。本来は京大卒の集まりですが、私は同士であった東大出身者ということで、途中から参加させていただいています。この会の広報誌である「さつき風」に、「長尾孫夫の生涯を小説にまとめて、彼の無念を晴らしたい」と投稿したことがあるのですが、大きく掲載されてたくさんの方から反響がありました。コピーの段階で配布した小説を読んでいただいた感想も多数寄せられております。関係者が毎年一人ずつ亡くなっていく状況ではありますが、一人でも多くの人にこの事件の真相を伝えていくという情熱だけは持ち続けていきたいものですね。
滝川事件記念会は、映画監督の大島渚さんも代表幹事をされておりました。大島さんにとって、記念会に出席することは「良心の証」と語っていたのが強く印象に残っています。「祖谷渓挽歌」も完成したらぜひ読んでいただいて、可能なら映画の原作にでもしていただければと考えていただけに、病気で倒れられたときは非常に残念だったですね。
ブックメイドのシステムがあったから、書籍にできた!!
今回の「祖谷渓挽歌」は、全五巻。これまでのワープロ文字をコピーして製本した簡易本とは違って、オンデマンド印刷とはいえ本格的な書籍にすることができたのは、ブックメイドというシステムのおかげです。各300ページに亘る全五巻の大作小説を印刷しようと思ったら、普通の印刷では想像もつかないような費用がかかってしまいますからね。とりあえず各巻とも20部づつ制作したのですが、おかげさまで非常に綺麗な仕上がりの書籍にすることができてとても満足しています。今後どうなるかわからないのですが、少しづつ増刷するのもよし、万が一、反響が拡がった場合にはデータをそのままオフセット印刷にまわせるとも聞きましたしね。
長尾氏の名を後世に残すことが残された私の人生の最大のテーマですから、様々なルートを開拓しながら「祖谷渓挽歌」を広められるように今後も頑張りたいと思います。当時の事件関係者はもちろんのこと、事件が起こった時代をまったく知らないような若い人もぜひ、読んでみてください。不穏な情勢が続く今だからこそ、真の正義のために戦った先輩たちの歴史を忘れないでほしいのです。
【著者略歴】
あい・みゆき。本名、谷津精衛。1930 年生まれ。
旧制一高理甲・文丙を経て東大文学部卒業。北海道釧路市在住。
1958 年NHK入局。教養番組担当ディレクター。代表作「飢え迫る開拓地」1958 年、「還らない島をみつめて」1959 年、「教養特集・出稼ぎ」等。1969 年、国際コンクール日本賞で佳作受賞。しかし1967年放送のフィルム構成「日本の漁法」(ベルリン国際コンクールに出品予定)の構成をめぐって上司と意見の不一致を来し又政界からの圧力等もあって1975年辞任。以後共学センターで医学部学生の専任講師を勤め、傍ら小説を書く。
又全国旧制高校の寮歌に通じ、大門寮歌祭主宰、若蛙の会主宰。迷人会主宰。元一高玉杯会幹事。好きな寮歌は「時の流れに」(高知)「散りにし花」(二高)「時計台に狭霧はこめて」(一高)。漁業経済学会会員。 |